Black Peaks

見上げても黒い頂上はいつも見えない

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卒業制作とフェンス

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お盆休みの暑い日。
静かに変わらず佇む母校は懐かしくて、そして少しだけ小さく見えて。


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今にも歓声が聞こえてきそうな、古ぼけたプール。





上の子も6年生になり、自宅で卒業制作の話になった。
「何かしら作るんじゃないの?」
「何もしないかもって聞いたし、作るかもしれないし、よく分かんない」
「そっか今時はそんなもんなのだね。記念になるのにな」
「パパは?」
「前に言わなかったっけ。学年全員で10cmぐらいの板を浮き彫りに彫って一つの物を作ったんだ」
「ふうん」
「そこに彫る短い詩をさ、全員で提出したんだけどパパのが選ばれたんだ」
「あ、思い出した、そう言ってたね」
「少し自慢なんだ」
「ふうん」
「だって、そうやって自分のものが何かしら形になって残るって滅多にないじゃん」
「まあね」
「あ」
「?」
「見にいこう」
「それを?」
「うん」
「夏休みで入れないんじゃないの?」
「入れなかったらフェンス乗り越えればいいさ」
「ええー」
「誰かしら先生がいるから話をしたら入れてくれるさ」
「そうかなあ」
「だって卒業生だぜ」
「一人だと怪しまれるかもね」
「どういう意味だ」





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果たして職員室には3人の先生がいて、訪問者記入書に記入し無事に学校に入ることができた。
職員室横の壁にそれは変わらずあった。
文章は全てを覚えてはいなくて、ところどころ間違って覚えていた。
けれど読めばそれを作った時のことを思い出した。
最初に浮かんだのは後半の3つの言葉。
その心、その力、その体を出し切るというのがメインだった。
6年生なりに心が最初だと信じていた。
それは今でも変わらない。
明日という〜と今日という〜を対比させるのも生意気にもよく思いついたものだ。

けれどひとつ気づいたことがある。
文頭だ。
今日の日は二度とない、というセンテンス。

全体から見れば二度とないから無駄にせずがんばろうという意味なのだろう。
でもその時の僕は終わってしまう、もしくは終わってしまった無常感の意味の方が大きかった。

それだけを言いたかっただけなのかもしれない。
二行目からあとはそれをごまかすための言い訳にも読める。

上の子がどんなことを思ったのかは分からない。
願わくば今回だけは表面上の意味でとらえて欲しいと思った。





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仮にその時の僕のように無常感にとらわれたとしても、その壁をそのフェンスを自分の足で乗り越えてほしい。
アドバイスはしよう。僕も通った道だ。
けれども結局は自分自身でしか解決できないのだから。
その壁をひとつ乗り越えるたびに大きくなると信じてほしい。



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