Black Peaks

見上げても黒い頂上はいつも見えない

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クリーンな頭と知識

ずっとモヤモヤしていたんだけれども、今日廊下でぼんやりとタバコを吸いながら8月の台風が近づいた曇り空をみていて少し閃いた。


相反する二つの事柄が自分の中にあって、けれど合体もせず喧嘩もせずに存在しているのがずっと気持ち悪かった。


今のこのままのやり方で果たしていいのだろうか。
議論で、プレゼンで相手を納得させるには?


少し話は古くなるが、クリーンコンピュータという考え方があった。
すべてをROMに載せるのではなく、アクセスできる記憶媒体に情報を分散させ必要に応じてコンピュータを、極端に言えばその色に染めさせる思想。


思えばその考え方に感銘を受けて以来、ずっとそれが僕の根底を流れていた。
単なる設計思想が僕の考え方、細かく言うならメモやノートの取り方に影響を与えていたのだ。
だからこそ文房具にこだわり、いかに自分に合うかカスタマイズを繰り返してきたのだ。


だから昨今のビジネス書で『情報過多の時代には取捨選択を行い且つ必要なものは記録しておき、いつも頭をクリーンにしてストレスをやりすごせ』という考え方を説く本にやはりそうかと膝を打ったものだった。


しかし人と会い、時には飲みながら話をする時に感じる違和感が僕をチクチクと刺していたのも事実だった。


実際余分な情報はノート(ここでは普通のノート)やPCやスマートフォンにすべて移しつつあった。
メール、ウェブその他の情報源やソースは一旦切り離して知恵の金庫に保管し必要な時に参照する。
しかしいざ議論になったときにいちいちそれをめくり(画面を表示させ)相手に話をしていては知識のない人間だと思われる。


何を言っても「それはですね、」といちいち情報を探す人間を信用できるのだろうか。
情報の堅牢性はあるのかもしれないが、相手は人だ。
場の空気というものがある。
サクサクと流れる空気をぶった切ってなおそれを引き戻すのは至難の技だ。


突き詰めれば教養ということになるのだろうけども、議論を戦わせる以上は自分自身の脳にストックを貯めなければならないのだろう。
もし自分がそうだったらと考えれば自分の頭にきちんとストックされた情報を披瀝する人間の方を信頼する。
(後日そのソースを開示されればなお良い)


やはり日々勉強で自分の血となり肉となる知識の積み上げが必要だしそれを可能にする方法で限りある時間を有効に使いたい。


『軽さ』を払拭するためには、言い換えれば信用のオーラを出すためにはそれなりに努力が必要だということ。


自分の脳というPCをもう少し信用して今日からはストックを積み上げていこうと思った八月の一日だった。



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